オリンピックとはなにか

長い間、オリンピックはヨーロッパの貴族のレジャーという性格を持ちました。4年に一度集まって、手下のスポーツ奴隷の活躍をサーカスのように楽しみながら、自分の息子や娘の縁談の話しをしたりする場であったわけで、いまだにIOCという組織にその片鱗が残っているわけです。

こういう言い方をすると怒る人もいるかもしれませんがね。少なくとも美しいスポーツの祭典では元々なかったわけであります。中国がらみで政治とスポーツの分離なんて話しをやっている人が多いですが、こういうパターン化した思考はまず捨てるべきである、と言っておきます。

オリンピックはその後変質して、国威発揚の舞台みたいな側面を持ったわけですから、政治とは切り離せなくなった。個人の話しで言うと、日本でも金メダリストは一生食いっぱぐれがなかったりしますから、勝負に賭けるヤツがいるのは当然。舞台がなくなるのは困るという話しもわからなくはない。

でも、なんかゆがんだ話しだと思うのは、私だけでしょうか。お祭りをシステマティックにやる時期は過ぎたと思っている。開催地を毎回変えるのは、貴族のレジャーの都合上が発端ですから、必然性が本来ない。

例えばマラソンなら、どっかの国のコースで固定して、毎年やればよい。記録の比較ならこれがベスト。他の競技も同じで、それぞれ優位なインフラがある国でやればよいわけであります。

イベントが欲しいという発想があるでしょうが、私は否定する立場。オリンピックをやった国はその後見事に不況に陥っているわけで、それは東京やソウルの例を見るとよくわかる。無理にオリンピックをやる必要性などマッタクありません。