歴史は認識するものではない
「歴史認識」というコトバはマルキシズムのコトバである、という話も以前書いたと思う。
ジャーナリズムが何も考えずに使っているのがまずけしからんのではあります。
マルクス主義的歴史認識とは、発展段階のファイナルステージである共産主義にまで至るステップの「どこにその国家がいるか」という認識の話であるわけで、イデオロギー馬鹿の用語であります。
つまりマルクス主義富士山の5合目にいるか8合目にいるかを認識するという程度のヨタ話。封建主義が1合目、みたいなイメージになります。
歴史にいろんな切り口があるのは今更でもない。そして、歴史というのは結構イデオロギーという夾雑物が入りやすい分野でもあります。
日本史で言えば、夾雑物が入りやすい分野など腐るほどあって、天皇もそうだし部落もそう。私など社会人になったとたん、竹中労が部落解放同盟につるし上げられた現場の近くにいる羽目になったので、結構トラウマがある。
竹中労はリベラルでそれなりの言論を作った人だと思うのですが、解同にどつかれて以後あまり活躍した記憶がない。結構ベッピンのおねーちゃんと一緒にいた記憶はある。うらやましいと思った記憶もある。笑。
八切止夫は評価の難しい人ですが、彼のネタになっていた一つが菊池山哉(きくちさんさい)。昔から興味はあったのですが、古本屋で手に取ると、なにやら難しい記述でまず拒絶感がある。しかも高いのであります(彼の著書は今でも結構な値段が付いています)。
ということで、敬遠していたのですが、ちょっと思い直して:
『余多歩き─菊池山哉の人と学問』という、前田速夫さんの本を読み始めました。国定教科書的な記述に反抗した人はそれなりにいるわけですが、まともな言論というのもそれなりに難しい、という、結論にもならない〆で本日はおしまい。