匿名が悪いか

私は毎日新聞誤報で、かなりな迷惑を蒙った一人であります。その記事が何かを言うと私の正体がばれてしまうので書かないですが。

でかでかと記事を書かれて、唖然として。

元々当方に取材した記事ではない。周辺情報による、一方的な決め付け記事。

記事を載せたあとに、遅ればせながら毎日新聞記者が私のところにやってきた。少しは話ができるかと思って期待した。

誤解を解かなければならないというのが私の立場。そらー懸命に説明しましたわ。

なのですが、説明をしながら、彼の目を見ると言い訳は何も聞く気がないという、目つき。ゴーマンというか、イッテいるというか。メモも取ってはいないというのがすごい。

あんな蛇のような目つきを見た経験は私の長い人生経験でも、あのとき限りです。

以後、毎日は一切信用しません。

なおこの話は結構インターナショナルだったりして、共同か時事かにもインタビューを受けて、私の名前は海外新聞にも載りました。海外のタワリシチは、「お前も有名になった」などと、わけのわからぬ祝福をしてくれたりしたのですが。

なぜこんなことをいまさら書くかというと、鳥越俊太郎がなんか言っているらしいので。

マスコミは圧倒的な勢力を背にして、マインド・コントロールができた古き良き時代を懐かしんでいるとしか思えない。

★はびこる匿名文化 鳥越俊太郎ニュースの匠

 アメリカの新聞記事はほとんどの場合、バイライン(署名)があるのに、日本の新聞
にはなぜ署名記事が少ないんだろう?
 これは私が42歳で毎日新聞社を休職し、1年間アメリカの地方紙(クェーカータウン
・フリープレス)で仕事をしていたとき以来、 ずっと考え続けていたことでした。
 帰国後もこの時抱いた疑問が胸深く残り、現在では?インターネットの匿名書き込み
問題?テレビのモザイク・首なし映像問題?警察の容疑者及び被害者などの匿名発表問
題―――という三つの問題点について考えています。
 日米の間に横たわる実名性(匿名性)のギャップについては、今では恐らく日米の文
化や社会のありようの差に基づいていると推察しています。
(中略)
 これに対し、日本は責任が個人より会社や団体に帰属していることが多く、さらに濃
密な人間関係を前提とする“ムラ社会”であるため、実名公表はその後の生活を困難に
すると考えられています。
 その結果、日本では「匿名で意見を発表してもいいんだ」という暗黙の了解文化がは
びこっていました。その典型的な実例がインターネットで花を咲かせている掲示板など
の書き込みやブログを炎上させてしまうコメントなどです。
(中略)
問題なのは警察沙汰にまでは至らないものの、特定の人間に対する誹謗中傷のたぐいの
書き込み、コメントです。
 口汚い罵りの言葉をつらねた文章が今日もインターネットにはあふれています。
匿名だからできる。これは所詮徒花にすぎません。