歴史学者の資質

アメリカの図書館でしかるべきところに行くと、日本史をはじめとする日本に関する基礎文献(日本語)をきっちり集めているところが少なくないらしい。しかし調査したやつに言わせると、「読まれた形跡がまずない」のだそうです。

アメリカは日本と戦争をするまで、日本のことをほとんど知らなかったという話があって、ルース・ベネディクトの「菊と刀」は、政府の肝いりで書かれた本。

ルース・ベネディクト
大学はヴァッサー大学に学んだ。卒業は、1909年である。その後1919年、コロンビア大学の大学院で学び始め、フランツ・ボアズの指導を受け、PhDを取得、1923年教員の1人となる。マーガレット・ミードは、彼女の教え子の1人である。彼女は、1930年代の初めまでアン・シングルトン(Anne Singleton)のペンネームで詩文も書いていた。

彼女の『文化の型の捉え方』(1934年)は、あらゆる人間社会の中で現れてくる行動のかたちを記述する中での文化の相対主義を表現したものであった。(彼女の批評家たちは、これを全体の中の「ごく些細な一部」という言い方をする。) 1936年、彼女は助教授に昇任した。ベネディクトは、アメリカ合衆国第二次世界大戦に参入するに当たって戦争に関連した研究や助言のために、招集した代表的な社会人類学者の1人となった。

wikipediaによる。

マーガレット・ミードとはレズ関係だったそうですが、二人に共通するのは「上から目線の文化人類学」ということでしょうか。こういうタイプの学者の論説は批判的に読むのが基本になります。つまり民族浄化まで行っちゃう危うさを常に内包している、と言ったらお分かりか、フェミなおねーさんたち。

しかしまず、ルースおばさんは、どこでどう日本情報を手に入れたのだろうか。あの時代に情報は極端に少なかったはずですから、政府機関のしかるべきところから入手したのであろうと、とりあえず推察しておきます。ならば、優等生のつぎはぎ論文にしかすぎない。

歴史学者にも色々あって、私が中学で日本史を教えてもらった先生など、遺跡発掘調査の専門家(論文多数あり)であったわけ。歴史部にたまたま所属していたのが運のツキ。彼の発掘に春夏冬駆り出されて、ドカタ仕事をした記憶はあるが、歴史のことを教えてもらった記憶がない。

というようにタコツボ型であるのは推察が付く。でも魏志倭人伝の例を引くまでもなく、漢文を読みこなせる素養と言うのはある程度必要でしょう。

専攻分野によって違うでしょうが、中国との関係や韓国との関係をまともに調べるなら、中国語・韓国語・日本語の本を読みこなせるだけの知識が要る。

ちょっと視点を変えてみましょう。

日本人で中国や韓国の歴史を専門にしている人は結構いる。かなりいると言ってもいいでしょう。

しかし中国でも韓国でも、アメリカでも、まあどの国でもいいのですが、日本の歴史を専門にしている人はきわめて少ない。

これは情報の非対称性みたいな話にもつながるのですが、岡田英弘さんによると、中国人の日本人論はかつて皆無に等しかったのだそうです。

この話は長くなるなあ。書ききれないので、ここでいったん中断。