人口は下(ビンボー国家)から上(カネモチ国家)へ移動する

という、雑談のようなものですが、こういう視点は割合に忘れられがちなので、書いておきましょう。

改革開放政策(w)がとられた明治時代、日本からチョースンに渡って住み着いた人はゼロに等しいですが、チョースンからは大量の人々がニッポンにやってきました。「東京なら職があるかもしれない・・・」という単純な理由であります。本国では差別されてメシも食えない。ニッポン「さ」いくだ。というわけで、済州島あたりの、チョースンでは差別されまくりの難民がメシが食えるかもしれないニッポンにやってきた。

やってきたからといって、飯の種がすぐさまあるわけではない。ニッポンだって、そんなに裕福ではなかったので迷惑なだけ。日本人ならノーサンキューの刑場跡とか、河川敷とかに住み着いて、クズヒロイみたいなことをやっていたわけであります。

おまけに清潔という観念がなくて、不潔な上にキムチの匂いだけを振りまく。神州清潔の民(あはは、私は右翼ではないよ)、のニッポンジンには迷惑なだけですから、これが関東大震災で「虐殺」される話の遠因につながった。

イギリスを例にとると、イギリス人で中国にあこがれて住み着く・・なんてやつは当然皆無。

でも中国人はしっかりイギリスに移住した。これもパターンなので、そいうやあ昔も書いた記憶があるのですが、一応リピートしておきます。

ワッピングという昔の刑場がテムズ川のほとりにあって、昔の海賊やら何やらが首を切られまくったので、普通の人は近づかない土地があります。こんなところに住居を構えるフツーのイギリス人はいない。でも流れ流れた中国人は、ここに拠点を構えました。

これを救ったのはドックなんですね。いきなり職住近接の土地になってしまった。